9月14日/9月27日
使徒経:コリンフ前書1:18-24
- 1:18 十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものですが、わたしたち救われる者には神の力です。
- 1:19 それは、こう書いてあるからです。「わたしは知恵ある者の知恵を滅ぼし、/賢い者の賢さを意味のないものにする。」
- 1:20 知恵のある人はどこにいる。学者はどこにいる。この世の論客はどこにいる。神は世の知恵を愚かなものにされたではないか。
- 1:21 世は自分の知恵で神を知ることができませんでした。それは神の知恵にかなっています。そこで神は、宣教という愚かな手段によって信じる者を救おうと、お考えになったのです。
- 1:22 ユダヤ人はしるしを求め、ギリシア人は知恵を探しますが、
- 1:23 わたしたちは、十字架につけられたキリストを宣べ伝えています。すなわち、ユダヤ人にはつまずかせるもの、異邦人には愚かなものですが、
- 1:24 ユダヤ人であろうがギリシア人であろうが、召された者には、神の力、神の知恵であるキリストを宣べ伝えているのです。
福音経:イオアン19:6―11,13-20,25-28,30-35
- 19:6 祭司長たちや下役たちは、イエスを見ると、「十字架につけろ。十字架につけろ」と叫んだ。ピラトは言った。「あなたたちが引き取って、十字架につけるがよい。わたしはこの男に罪を見いだせない。」
- 19:7 ユダヤ人たちは答えた。「わたしたちには律法があります。律法によれば、この男は死罪に当たります。神の子と自称したからです。」
- 19:8 ピラトは、この言葉を聞いてますます恐れ、
- 19:9 再び総督官邸の中に入って、「お前はどこから来たのか」とイエスに言った。しかし、イエスは答えようとされなかった。
- 19:10 そこで、ピラトは言った。「わたしに答えないのか。お前を釈放する権限も、十字架につける権限も、このわたしにあることを知らないのか。」
- 19:11 イエスは答えられた。「神から与えられていなければ、わたしに対して何の権限もないはずだ。だから、わたしをあなたに引き渡した者の罪はもっと重い。」
- 19:13 ピラトは、これらの言葉を聞くと、イエスを外に連れ出し、ヘブライ語でガバタ、すなわち「敷石」という場所で、裁判の席に着かせた。
- 19:14 それは過越祭の準備の日の、正午ごろであった。ピラトがユダヤ人たちに、「見よ、あなたたちの王だ」と言うと、
- 19:15 彼らは叫んだ。「殺せ。殺せ。十字架につけろ。」ピラトが、「あなたたちの王をわたしが十字架につけるのか」と言うと、祭司長たちは、「わたしたちには、皇帝のほかに王はありません」と答えた。
- 19:16 そこで、ピラトは、十字架につけるために、イエスを彼らに引き渡した。
- 19:16 こうして、彼らはイエスを引き取った。
- 19:17 イエスは、自ら十字架を背負い、いわゆる「されこうべの場所」、すなわちヘブライ語でゴルゴタという所へ向かわれた。
- 19:18 そこで、彼らはイエスを十字架につけた。また、イエスと一緒にほかの二人をも、イエスを真ん中にして両側に、十字架につけた。
- 19:19 ピラトは罪状書きを書いて、十字架の上に掛けた。それには、「ナザレのイエス、ユダヤ人の王」と書いてあった。
- 19:20 イエスが十字架につけられた場所は都に近かったので、多くのユダヤ人がその罪状書きを読んだ。それは、ヘブライ語、ラテン語、ギリシア語で書かれていた。
- 19:25 イエスの十字架のそばには、その母と母の姉妹、クロパの妻マリアとマグダラのマリアとが立っていた。
- 19:26 イエスは、母とそのそばにいる愛する弟子とを見て、母に、「婦人よ、御覧なさい。あなたの子です」と言われた。
- 19:27 それから弟子に言われた。「見なさい。あなたの母です。」そのときから、この弟子はイエスの母を自分の家に引き取った。
- 19:28 この後、イエスは、すべてのことが今や成し遂げられたのを知り、「渇く」と言われた。こうして、聖書の言葉が実現した。
- 19:30 イエスは、このぶどう酒を受けると、「成し遂げられた」と言い、頭を垂れて息を引き取られた。
- 19:31 その日は準備の日で、翌日は特別の安息日であったので、ユダヤ人たちは、安息日に遺体を十字架の上に残しておかないために、足を折って取り降ろすように、ピラトに願い出た。
- 19:32 そこで、兵士たちが来て、イエスと一緒に十字架につけられた最初の男と、もう一人の男との足を折った。
- 19:33 イエスのところに来てみると、既に死んでおられたので、その足は折らなかった。
- 19:34 しかし、兵士の一人が槍でイエスのわき腹を刺した。すると、すぐ血と水とが流れ出た。
- 19:35 それを目撃した者が証ししており、その証しは真実である。その者は、あなたがたにも信じさせるために、自分が真実を語っていることを知っている。
出典先:日本聖書協会 新共同訳
聖なる十字架の挙栄祭
聖なる十字架の挙栄祭
(ユリウス暦 9月14日/グレゴリオ暦9月27日)
主イイスス・ハリストス(イエス・キリスト)が私達のために十字架にかけられた後、主の十字架は一緒に十字架にかかった犯罪人の十字架と一緒に近くの坑に投げ込まれ、土でおおわれました。
長い年月が経って、ゴルゴダ -私達の救い主が十字架にかかった場所- と主が再び起き上がられた墓が、教会からこの地上で最も神聖な場所と考えられるようになると、ローマの皇帝ハドリヤヌスは、その地の真中に異教徒の寺を建設することにしました。それにより、キリスト教徒がそこで祈るのを止めさせ、キリスト教徒の信仰をついでになくしてしまうことを期待したのです。そして異教徒の寺が上にのっているその神聖な場所も時がたてば忘れられるだろうとの計算が彼らにはありました。
だが、キリスト教徒は、神聖なその場所を忘れることはなく、そこに通い続けました。キリスト教徒は異教の寺の外側に立ち、神様に祈ろうとしました。ついに、神様はイイスス・ハリストス(イエス・キリスト)の聖なる教会としての、この神聖な場所に戻って来られ、そしてイイススもまた、私達の救い主の聖であり、貴重なその十字架を、信徒達に現されました。
それは次のようにして起こりました。5世紀の初頭、コンスタンチンと言う名のローマの皇帝がいました。神様はこの人の心を御存知で、コンスタンチンが神様の恵みを受け入れ、ハリストス(キリスト)に従うだろうと言うことが分かっておりました。それは、コンスタンチンが自分の兵卒を大規模でしかも大変重大な戦闘に率いることができた時に起こりました。コンスタンチンの軍は大変に数が多かったのですが、戦いの勝ち目はなさそうに見えました。さて、戦いの前日になり、巨大な十字架の形をした光が、「この印 により、勝利をおさめよ!」というよく通る声と一緒に空に現れました。コンスタンチンの兵全員がその不思議な 印を見、彼ら は恐れました。
コンスタンチンもやはりそれには驚きました。しかし、夜、神様はコンスタンチンに神様のお考えを話されました。それによれば、コンスタンチンは自分の兵に、各自が持つ旗と盾に十字を描くように指示しなければならず、そうすれば、神はコンスタンチンを勝たせてくれるだろう、と言うのです。その通りにすると、次の日、コンスタンチンの軍隊は戦いに勝ちました。
その時からコンスタンチンはキリスト教徒を保護する人となり、後になりコンスタンチン自身もキリスト教徒になりました。聖コンスタンチンは自然と十字架に対する特別の、深い尊敬の心を抱くようになりました。コンスタンチンと、母親の聖エレナ(ヘレナ)の二人は私達の救い主が私達のために死んだ本物の十字架を見つけだし、それを崇めたいと思いました。そこで、聖エレナ(ヘレナ)はエルサレムへの旅に出ました。
長い間捜しまわったすえ、十字架と、はりつけの後埋葬した場所が見つかりました。それが、ハリストス(キリスト)がその上で死んだ十字架であると断定するのは難 しいことではありませんでした。というのは、主がその十字架を通して幾つかの奇蹟をなされたからです。その中で最も驚くことは、死んだばかりで、葬 るために運び去られた人を、散らばっている幾つかの十字架のところへ運んで来て、その中の幾つかの上に置いてみましたが、何も起こりませんでした。でも、救い主の十字架の上に置くと、主は彼に命を戻らせ、こうして、まことの十字架がはっきりと分かったのです。
その時から、何千人ものキリスト教徒が真の十字架の発見を聞きつけ、このかけがえのない聖遺物に詣でるためにエルサレムに集まりました。エルサレムの主教マカリイ(マカリオス)は十字架が立っていた場所に立ち、助けを借りて、集まった人達皆が見られるように、高くその生命を授ける十字架を持ち上げました。それを見て、そこにいた人達は床に崩れるようにしてひれ伏し、喜びのあまり「主よ、憐み給え!」と声をあげました。
聖女帝エレナ(ヘレナ)は十字架の半分を聖墓に新たに建てられた復活聖堂に置き、その他は釘で組み立て、エレナ(ヘレナ)の息子の聖大コンスタンチンのもとに置きました。エルサレムに詣でた人達に、エルサレムに残った墓の十字架からその小さな破片を持ち帰ることが許されると、この生命を授ける十字架の遺物は世界各地に散って行きました。
私達の救い主の貴重な聖十字架(Precious Cross)の発見と尊敬は主降誕326年に行われました。その時から、ハリストス(キリスト)の復活を讃める大規模な聖堂の建設が始まりました。聖堂は主降誕335年9月13日に完成し、9月14日に聖堂の成聖が行われ、そして十字架の高揚を毎年祝うようになりました。
この日私達は厳しい齋を守り、私達のためにイイススが耐え忍ばれた苦しみを思い起こすのです。
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