イコン
イコン(ギリシア語: εικών, ロシア語: Икона, 英語: Icon, ドイツ語: Ikon)とは、イエス・キリスト(イイスス・ハリストス)、聖人、天使、聖書における重要出来事やたとえ話、教会史上の出来事を画いた画像(多くは平面)である。"εικών"をイコンと読むのは中世から現代までのギリシャ語による(ειは中世・現代ギリシャ語では「イ」と読む)。古典ギリシャ語再建音ではエイコーン。正教会では聖像とも呼ぶ。
概説
「イコン」と言えば正教会で用いられるものを指すことが多く、場合によってはイコンは正教会のものとして限定的に説明されることもある。イコンは、正教会以外のキリスト教の教派でも用いられないわけではなく、カトリック教会においても用いられるが、カトリック教会ではこれを聖画像とも呼ぶ。
ギリシア語の「イコン」(ギリシア語: εικώνの中世 - 現代ギリシア語読み、古典ギリシア語再建音ではエイコーン)は、似姿、印象、かたどり、イメージという意味がある。思いや考えを託す器としてのイメージ(イコン)は、託されたものを表現する働きも持つため、器(イメージ、すなわちイコン)の破壊は器に盛られているものの破壊に通じると考えられる。ここでいう「器」は、具体的には伝統的なイコンの技法、既定された色や構図であると整理される。
イコン画家
イコンを書く者は、聖伝の中に生き、正教の共同体の一員であり、いつも機密的生活の内にいなければならない。真のイコン画家にとりイコンの制作は習練と祈りの道、修道の道そのものであり、この世と肉体の情念と欲からの解放がなされ、人の意志が神の意志に従えられていなければならない。真のイコン画家は自分のため、もしくは自分の光栄のためにではなく、神の光栄のために働く。
従って原則としてイコン画家はイコンに自分の名を記さない。例外的に記名する場合にも「~によって」「~の制作」「~の手によって」「~の手」といった言葉を付ける。これはイコンの制作課程の中に神聖なものが入り、神の恩寵がイコン画家の心を照らして、彼の手を導くと感じられることによる。
初期(7世紀まで)
全てのイイスス・ハリストス(イエス・キリスト)の顔が画かれたイコンの原型となっているのは、『手にて描かれざるイコン』とも呼ばれる『自印聖像』である。これは、イイススが顔を洗い、自らの顔を布に押し当てると、イイススの顔が布に写るという奇蹟が起きたことによるものであると、教会の伝承は伝えている(ただし『自印聖像』のオリジナルは、1204年、第四回十字軍がコンスタンティノープルを蹂躙した際に失われた)。
伝承によれば、聖使徒ルカによって生神女マリヤの存命中に彼女が画かれたイコンが最初のイコンだとされている。『ウラジーミルの生神女』は、聖使徒ルカによるものとして正教会では伝えられている。
ダマスコのイオアンが金口イオアンの生涯について書いた著作の中では、金口イオアンが聖使徒パウロのイコンを自分の前に置いてパウロ書簡を読んでいたと記されている。ニッサの聖グリゴリイ(ニュッサのグレゴリオス)はイサクの燔祭のイコンを見て、深く感動したことを語っている。
4世紀の著作家エウセビオスは、ハリストス(キリスト)に癒しを受けた血友病の女(マタイによる福音書 9:20 - 23)の家に建てられたハリストスの立像のことを書き残している。また彼は、生前に書かれたハリストス、ペトロ、パウロの肖像画が同時代に保存されていたことを記録している。
他方、初期にはイイスス・ハリストス(イエス・キリスト)と象徴的に結び付けられた魚・子羊・牧者・鳩・葡萄の枝などが広く用いられたが、4世紀にキリスト教が公認されて以降、人の姿が画かれたイコンが広まっていった。6世紀以降は、ヘレニズムやオリエント文化(特にシリア)の教会の信仰の影響のもとに、イコンの数や各種表現が増えて、整えられて成熟していった。
イコンは(いつごろからあったのか正確な年代は不明であるが)初期から存在していた一方で、イコンを否定する議論も初期から存在していた。
最初から議論になったのはイコンが偶像崇拝に当たるのではないかという疑いである。キリスト教では偶像崇拝を禁じている。その根拠となるのは旧約聖書に記された十戒の第二戒(出エジプト記 20:4 - 6、申命記 5:8 - 10)である。
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